2009年09月28日

瞳を開けてみる夢 ただねがうことは 03

つづきです。


お母さんに今優しくされたら
さよならした後余計に寂しい。

いなくなっちゃうなら、なんで会いに来て
優しくしてくれて、抱っこしてくれるの?


優しくしてくれるなら、いなくならないで。
いなくなるなら、初めから優しくしないで。


ずっと一緒にいて
それだけでいいから。

本当に本当にそれだけ。

他にはなんにも要らないし
これからはいい子にするから。


与えられてから、奪われるのは
本当に千切れる様に悲しいもの。


だから、そっけなくして
泣いてしまわないように
強くいられる様に
閉じ篭って戦う。

それでも自分の中に、タイムリミットを示す
巨大な時計が動き続けているのも判ってて
残りの時間で甘えたほうがいいのか
今更、どう切り出したらいいのか
そんな事ばかりを考えていて。

本当はゲームなんかどうだっていい。

そうやって、どんどん自分の要求から
遠ざかってしまい、ただ寂しくなる。

そして、甘えることも下手になり
要求することも出来なくなり
ただ唇をかみ締めるだけ。


そうしてそして果たして一人の孤独な少年の出来上がり。


そういう場面なのかと思うと
少年の姿に自分が重なります。


ロクに夕飯も摂らずに
挙句、涙がとまらない。


祖母に心配をかけてしまいました。



こんなことを思い出すときに
いつも思い出す歌があります。

家族の離婚を歌った日本の歌は
とても数少ないと思いますが


五島良子 - Out of Harmony



「あの日もしわたしが、泣き叫んで
 しがみついていたら、やり直せたかしら」

家族が千切れるその時に
幼い自分は何もできない。


そのことで自分の中の何かも、または何もかも千切れる。


幼い自分は話し合いを阻止するべく
何故かトイレの中に立て篭もって
その中で暴れて小さな灯り取りの
ガラス窓を割ったりました。

でも、結局歌の中の女の子と同じ様に無力でした。

家族が話し合った部屋のオレンジの
カーペットの色だけを覚えています。


彼がお母さんと別れた後
出来る限り寂しくないように
(そんなことは無理だけど)
自然とそう願っていました。


お昼の場面で願ったことも
夕飯の場面で願ったことも
かたちはそれぞれ。


でも、共通なのは静かに豊かに愛情に
溢れて過ごせたら、最高だということ。

その両極を見たような気がしました。

自分もそう願いますが
あの頃の我慢癖や俯き癖
噛締め癖は直らないまま。

不器用に要求しては
遠ざかられるばかり。

教わることもなく、学ぶこともなかった愛情のかき集め方。
それがわからぬまま、それでもどうしても欲しくてもがく。

端から見たらどんなにも惨めで無様な事かと
自分でも可笑しくなってしまうほどです。


それでも指の間からすり抜けるそれを、ただただ願うばかり。



皆様が愛情に溢れて日々暮らせますことを。




posted by 08 at 05:54| Comment(1) | TrackBack(0) | 瞳を開けて見る夢 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
三つの記事を夢中で読みました。
2人の食事の風景から、少年の心根を読み取ったモスさん。そして、その少年に幼い頃の自分の心を重ねて、様々な思いをめぐらせたモスさん。モスさんのブログを読んで、モスさんの感性の豊かさや心根にジンと来るのは、きっとモスさんがこれまでさまざまな思いを持ち続けて、ひとり心を耕してきたからなんだなと思いました。内容は違いますが、私も同じようにどうしようもない家族との別れを経験したことがあり、それ以来、その時に思い悩み、強く心に焼き付けられた気持ちは今も消えないし、それが今のパワーなんだと思います。モスさんの言いたいこととは違うことを感じているようにも思いますが、すごく心に響いたので、ながながとコメントしちゃいました。
これからもよろしくお願いしますね。
Posted by jun at 2009年09月28日 22:56
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